2010年6月2日

6/19 東南アジア学会、関東例会

  関東例会2010年度第3回となる6月例会(6月19日開催)の案内をお送りいたします。今回は上野美也子会員による「世紀転換期における日本「陸軍」参謀本部のフィリピン独立運動への関与の実態とアメリカの対応――アメリカ押収文書PIRを中心に――」、および島林孝樹会員の「冷戦期におけるインドシナ三国に対する日本の援助政策―地域的な援助の視点から」の2報告です。詳細は下記をご覧ください。多くの方々のご来場をお待ちしています。

<2010年度6月例会>

日時: 2010年6月19日(土)13:30~17:45

会場: 上智大学2号館5階 510会議室 
http://www.sophia.ac.jp/J/sogo.nsf/Content/campusmap_yotsuya
http://www.sophia.ac.jp/J/sogo.nsf/Content/access_yotsuya

*当日は土曜日のため、正門(真田堀グラウンド側)しか開いていません。会場の2
号館は、正門から入ってすぐ左側にある17階建て高層建造物です。

☆ 第一報告(13時30分~15時30分)


報告者: 上野美也子氏(東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程)

コメンテーター: 内山史子氏(都留文科大学)

報告題: 「世紀転換期における日本「陸軍」参謀本部のフィリピン独立運動への関与の実態とアメリカの対応――アメリカ押収文書PIRを中心に――」

<報告要旨>

 1896年フィリピンでの独立闘争が始まってから、日本軍はこの闘争に注目していた。特に「陸軍」参謀本部は、1898年5月の米西戦争マニラ海戦勃発以来1902年初頭まで、途中に4か月ほどの中断はあったものの、現状を知るためにマニラへ視察員を派遣していた。それにも関わらず、日本史の中でこの時期の日本陸軍のフィリピンへのアプローチは、布引丸事件以外あまり明らかにされていない。一方中国大陸での義和団鎮圧に対する出兵や、その後の辛亥革命への「陸軍」参謀本部の関与に関しては、最近までに多くの史料が日本で公開され、その詳細も明らかになってきている。
しかし今のところ日本側で公開されたフィリピン独立運動関与への史料、特に1899年夏以降の史料はわずかで、関与の痕跡は今のところアメリカ軍の記録とフィリピン側の押収史料のみから確認することができる。したがって、これらを使って「陸軍」参謀本部の行動を断片的にでも明らかにし、この時期中国大陸に目を向けていたと思われる「陸軍」参謀本部がその裏でフィリピンにも食い込もうとし、アメリカ軍はそれを脅威と感じていたこという事実を今回の発表で明らかにしたい。

☆第二報告(15時45分~17時45分)

報告者: 島林孝樹氏(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程)

コメンテーター: 遠藤聡氏(上智大学非常勤講師)

報告題: 「冷戦期におけるインドシナ三国に対する日本の援助政策―地域的な援助の視点から」

<報告要旨>

本報告では、第二次世界大戦終結を経て日本が国際社会への復帰を果たしてから、カンボジア紛争が終結するまでに展開されたインドシナ三国に対する日本の援助政策を取り扱う。具体的には、「地域」を念頭に置いた援助概念がいつ、どのような要因によって登場したかを明らかにする。現在、インドシナ三国に対する援助政策には、1.「インドシナ」地域を対象とする援助、2.「メコン」地域を対象とする援助という地域的な援助の潮流が大きく分けて二つ存在する。本論では、これら二つの援助概念の潮流を日本の国際社会からカンボジア紛争終結までの時期に限定し、その生成過
程を明らかにする。 そして、そのような援助概念の生成が、冷戦終結とともに展開されるようになる「インドシナ」に対する援助政策にどのような意義を与えたのか検討する。分析に用いる一次資料は、『外交青書』を主とするが、必要に応じて当事者による回顧録や先行研究も用いる。