北川香子(KITAGAWA Takako)学習院女子大学
「チ・ハエ興隆史」
“Rise of Chi Haer, a Chinese Village on the Mekong”
(発表要旨)
本報告はカンボジア国立公文書館所蔵文書RSC8186、Dossier divers relatif à la ville de Chihe, Kompong Cham: adjudications, listes des propriétaires de terrain, plan du lotissement du centre de Chihe (1913-1931)およびフランス海外公文書館(エクサンプロヴァンス)が所蔵するコムポン・チャーム理事官府定期報告書を主たる資料とする。
フランス植民地期にメコン川は仏領インドシナを南北に貫く動脈となり、その影響を受けた沿岸地域は著しく活性化した。とくに1897年12月17日のコムポン・チャーム理事官府再開後、現在のコムポン・チャームの町の原型が構築され、地域の政治、商業、教育、医療等のセンターとして急速に発展していくとともに、流入した中国人人口により、チ・ハエなどの新たな河港町も出現した。
チ・ハエはコムポン・チャームの町の南、メコンの中州コッ・ソテンの正面、トンレー・トム(メコン川)とトンレー・トーチの分岐点近くに位置し、植民地期まではポスト・アンコール時代の中心地の一つであるスレイ・サントー地方に属していた。植民地期の文献には主要なメコン河港の一つとして頻出するが、現在ではほとんど忘れ去られてしまっている地でもある。本報告ではメコン沿岸地域史研究の一環として、文献史料から明らかになるチ・ハエの興隆過程を紹介する。