北川香子
「マリカ王女の戦い方-ユカントール事件の後に」
マリカ王女(1872~1951年)はノロドム王の王女であり、同じくノロドム王の子で、フランスの植民地支配に抗議して失脚したユカントール王子の妃でもある。マリカ王女の娘たち、ピンピエン王女とペンポ王女は、独立後のカンボジア王国で要職をつとめた。マリカ王女自身も、古典文学『コーキー物語』や歴史教科書の編纂、マリカ女学校の創設などの業績が知られている。しかしながら、Justin CorfieldとLaura SummersによるHistorical Dictionary of Cambodia(2003年)にマリカ王女の項目はなく、管見の限りではあるが、マリカ王女を中心的に取り上げた研究もない。彼女については、ユカントール事件に関する記述や、カンボジア文学史、教育史の周辺に名前が出てくる程度の情報しか得られない。その背景には、植民地期のカンボジアに関する歴史研究自体が手薄で、女性であるマリカ王女にはなかなか視線が向けられない、という事情があるであろう。プノム・ペンの国立公文書館には、ユカントール王子の亡命後、カンボジア国内に残ったマリカ王女が、子どもたちを育てていくための財源を確保するために、フランス植民地当局や閣僚評議会、カンボジア王と取り交わした相当量の書簡類が収められている。本報告では現時点におけるこれらの文書類の分析結果から、いままで全く光が当てられてこなかった、植民地期カンボジア社会史の一側面を呈示したい。