2013年6月9日

6/30 第7回日本カンボジア研究会、パネル趣旨説明

第7回日本カンボジア研究会 特別企画パネル
「1993年以降のカンボジアの変容が示す光と影:国際関与下の社会再編を問い直す」

(趣旨)
 本パネルは、国連暫定カンボジア統治機構(UNTAC)が実施した1993 年の統一選挙を起点として形成された新生カンボジア王国のもとで、同国の国家・社会・自然資源が遂げてきた20年間の変容の実態を総合的な見地から再考し、その功績と問題点を明らかにすることを目的とする。

 カンボジアの現代史は、事実として、時々の国際秩序と密接に連動して進んできた。まず、1970?80年代の同国の状況は、冷戦構造を秩序とする国際政治に翻弄された小国の悲劇を思わせる。そしてその後の1990 年代に、カンボジアの国家と社会が混乱からの「復興」・「再生」へと向かう道筋をつくったのも、国際社会であった。すなわち、1993 年に、紛争解決と平和構築を目標とした国際的な関与のもとで新しい国家がカンボジアに誕生すると、諸外国や国際機関は、多くの場合、西洋発の近代国家モデルにもとづいた新たな国家制度・機構を建設し、強化するために、各種の専門家や事業資金を同国へ送りこんだ。1990年代のカンボジアでは、支援国や国際機関の名称を印された真新しい車輌が首都と地方の農村を結び、国土の彼方此方で橋が架け直され、舗装道路が拡張された。農村では、各種の開発プロジェクトがNGOなどによって開始され、人々の生活状況の改善に向けた取り組みが多様な形で進められた。一方、1990年代末以降は、縫製などの軽工業部門の工場が首都近郊に相次いで建てられ、農村出身の若年女性を中心とする出稼ぎ人口の増加を生みだした。2000年代に入ると、観光業の発展や、全国的な土地価格の高騰、地域経済統合などの社会経済的な変動の渦の中、カンボジアの人々自身も、個人のイニシアチブにもとづく経済活動の拡大に取り組み、各種の努力を重ねた。結果として、1998 年に253 ドルだったGDP は、2008 年に約3 倍(739 ドル)、2012 年には984 ドルまで増加した。そして、今日の日本では、「紛争」や「貧困」といった従来のステレオタイプを大きく離れ、安価な労働力を擁し、政治的にも安定した積極的なビジネスの投資先としてカンボジアを捉える意見を頻繁に見かけようになった。

 しかし、国際関与下で進んだ以上のような新しい国家の建設と社会の再編は、カンボジアの一般の人々の生活の改善に全面的に結びついたものとなっているだろうか。近年のカンボジアでは、フン・セン首相をトップとする権威主義的な政治体制が強化され、マクロ経済の発展と近代的な国家制度の定着のもとで、社会の階層的な分断が進む兆候がみられる。その状況について考察を進めるには、1990年代以降のカンボジア社会の変容の経験を、ナショナル(国家)とローカル(地域)の二つのレベルに分けて検証する事実確認の作業が欠かせない。本パネルは、専門を異にする複数の研究者が提出する1993年以降のカンボジアの変容に関する報告をもとに、ナショナル(国家)とローカル(地域)の二つのレベルで進んだ変化の相互関係とギャップ、およびコミュニティと国家の間を架橋する多様なアクターや、市場経済化と向き合った個々の農民のイニシアチブの意義などを検討し、国際関与下で進んできたカンボジアの社会再編の現実態を解明する。