2010年2月8日

2/27 日本カンボジア研究会、第1回プノンペン部会

日本カンボジア研究会、第1回プノンペン部会

■日時:2010年2月27日(土)10:00~17:00(12:05~13:30昼休憩)

■会場:カンボジア王立法律経済大学内
名古屋大学日本法教育研究センター(CJL)カンボジア

■会場の住所:Preah Monivong Boulevard, Sangkat Tonle Bassac,
 Phnom Penh


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■当日のプログラム
10:00-10:30 研究会開催の趣旨説明/自己紹介・挨拶など。

10:30-11:15 個人発表1
新谷春乃(東京外国語大学外国語学部カンボジア語専攻)
「民主カンプチア時代を巡る歴史教育-歴史教科書に焦点を当てて-」

11:20-12:05 個人発表2
平山雄大(早稲田大学大学院教育学研究科博士課程)
「カンボジアの初等教育の質的充実に向けて
 -教育の質に関する指標を読み解く-」

昼休み(12:05~13:30)

13:30-14:15 個人発表3
中松万由美(早稲田大学大学院創造理工学研究科博士課程)
「バイヨン寺院の建造プロセスをめぐって
-考古学的発掘調査の成果から-」

14:20-15:05 個人発表4
秋保さやか(筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程)
「現代カンボジア農民経済に関する一考察
 -農民組織活動の展開と葬儀の事例を中心に-」

15:10-15:55 個人発表5
上村未来(大学大学院グローバルスタディーズ研究科博士前期課程)
「カンボジアにおける「市民社会論」への試論
 -カンボジア「市民社会」に関する文献/聞き取り調査からの一考察-」

16:10-17:00 総括

18:00~懇親会(場所は検討中)

■参加費:無料
■参加者:院生、研究者、NGOやJICA職員の方など、どなたでも参加歓迎

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【発表要旨1】
新谷春乃(東京外国語大学外国語学部カンボジア語専攻)
「民主カンプチア時代を巡る歴史教育―歴史教科書に焦点を当てて―」

1. 問題の所在・研究の目的
民主カンプチア崩壊から、31年が経ち、元ポルポト派の裁判が執り行われる中、学校教育の中で民主カンプチア時代について教えようという機運が高まり、導入に向けて教師の訓練、資料作成が進められている。しかしながら、これまで全く民主カンプチア時代について教育がなされていなかったのかというと、そうでもなく、地域差、教師によって様々なようだ。では、国は、民主カンプチアに関する教育について、どう考えてきたのだろうか。国の考えが色濃く表れるものの一つに、国が発行する歴史教科書がある。国定の歴史教科書とは、当該国が次世代に伝えてゆこうとする歴史像であり、その国が持つ歴史認識を深く反映している。しかしながら、教科書の保存状態は悪く、特に80年代、90年代前半の教科書へのアクセスは限られており、研究がなかなか進められていない分野でもある。本研究では、民主カンプチア崩壊後、1979年から現在に至るまで、教育省、教育・青年・スポーツ省が発行した歴史教科書の中で、民主カンプチアがどのように記述されているか概観し、国が国民に対して与えようとしてきた民主カンプチア時代の歴史認識の一端を明らかにする。

2. 発表の概要
以上の研究テーマに基づき、本発表では、研究の背景となる1979年民主カンプチア政権崩壊から現代に至るまでの経緯、同期間に取られてきた元民主カンプチア勢力への対応を概観し、現在集まっている資料(以下参照)を中心に記述のされ方を検討したい。また、本発表は卒業論文作成の前段階と位置付けており、発表の中で、今後の研究計画についても述べる予定である。
使用資料(収集し次第追加していく)
 学習指導要領:1980年、1995年(小学校)、1996年(中学校・高校)
 歴史教科書:1970年(7,8,9年生)、1986年(6年生)、1987年(7年生)、1987年(8年生)、1988年(8年生)、1989年(9年生)、1990年(10年生)、1994年(小学校)、2000年
 社会科教科書:1998年(7年生)、1998年(8年生)、1999年(7年生)、1999年(9年生教師用)2007年(7年生)

【発表要旨2】
平山雄大(早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程)
「カンボジアの初等教育の質的充実に向けて
―教育の質に関する指標を読み解く―」

1. 問題の所在と発表の目的
「質の伴わない量の拡大は空虚な勝利である」(注1)という言葉に代表されるように、教育の質的充実なくしては子どもの学習理解は促されず、例えすべての子どもが就学しようとも、彼らに対して十分な学力の習得を保証することはできない。教育の質に関する議論は「万人のための教育」(Education for All: EFA)の理念の浸透とともに活発となり、2000年に開催された世界教育フォーラム(The World Education Forum)において設定された『ダカール行動のための枠組み』(Dakar Framework for Action)では、2015年までの初等教育の完全普及(Universal Primary Education: UPE)という教育の量的拡大目標に向け、教育の質的充実が重要であることが強調されている。
しかし、教育の量的側面と比べ質的側面を数値化することは難しく、教育の質に関する統一された指標はない。さらに、例えばユネスコの年次報告書では、第5学年までの残存率、生徒教員比率、女性教員比率、有資格教員比率、公共教育経常支出のGNP比、生徒1人あたり政府支出(いずれも初等教育課程内)という6つの指標を用いて教育の質の測定を試みているが、こうした指標で教育の質を十分に測れるのかという疑問も残る。そこで本発表では、カンボジアの初等教育に焦点をあて、その質をどう測定・評価し、より良いものにしていけるのかを、「教育の質」という概念を捉えなおすことによって考察する。

2. 発表の概要
本発表の構成は以下の通りである。まず第1に、現在のカンボジアの初等教育状況を概観する。また、教育の質に関する(と考えられる)指標を中心に教育統計の分析を試みる。第2に、従来の指標では十分に捉えきれていない教員の資質・能力という点に着目する。学校教育の直接の担い手である教員の資質・能力を向上させることは、開発途上国・先進国の区別なく教育開発の重要課題であり、カンボジアにおいても教員の担う役割は大きい。最後に、教育の質の測定・評価に対する新たな視点を導き出し、同時に、カンボジアの初頭教育の質的充実に対する課題を明らかにする。

注1) UNESCO (2000) Final Report: World Education Forum, Paris: UNESCO, p.16, UNESCO (2001) Monitoring Report on Education for All 2001, Paris: UNESCO, p.43.


【発表要旨3】
中松万由美(早稲田大学大学院創造理工学研究科博士課程)
「バイヨン寺院の建造プロセスをめぐって
~考古学的発掘調査の成果から~」

1.問題の所在
バイヨン寺院に関しては、1900年代初頭から建造過程に関する研究が提唱されてきた。初期の研究においてはまず、フランス極東学院(以下、EFEO)の考古学部長であり、かつ建築史家としてクメール建築に関する数々の論考を残したパルマンティエ(H. Parmentier)により発表された1927年の議論に端を発し、同EFEOの遺跡保存官であったマルシャル(H. Marchal)による論考、既往の2者の論考を再解釈したセデス(G. Cœdès)による論考などが挙げられる。さらに1960年代には、同じくEFEOの建築史家デュマルセ(J. Dumarçay)が、それまでの論考を踏まえた上で新たに発掘調査を実施し、バイヨン寺院の建造過程において4段階にわたる変遷を定説とした。また近年では、クーニン(O. Cunin)により、上部の石積み構造の組積過程を精査することから更なる細分化が図られるとともに、建造過程全体の部分的な修正を行っている。上記を踏まえると、建造過程は次の4つの段階に大別でき、これら一連の増改築の各段階は、建設工事の完成をみることなく次々と新たな計画段階へと移行していることが指摘されている。
デュマルセまでの一連の解釈に加えられた、クーニンによる上部構造における増改築の様相に関する指摘は、その緻密さを高く評価しなければならない。しかし下部構造に関しては、デュマルセは複合的な伽藍内にみられる代表的な遺構のみを取り上げ、簡略に記述をすすめ、解釈が困難である個所に関してはこれに拘泥せず、全建造過程を明瞭に述べることを優先しているため、基壇及び基礎構造を含む寺院全体の大局的な建造過程には未だに幾つかの問題点を孕んでいる。

2.発表の概要
現在、アンコール遺跡群内、都城アンコール・トムの中心に位置するバイヨン寺院では、日本国政府アンコール遺跡救済チーム(以下、JSA)とアプサラ機構(以下、アプサラ)の共同事業により、南経蔵の保存・修復活動が実施されている。この事業の一環として、南経蔵では、昨年2007年4月から継続的に、建物本体の解体作業に伴う考古学的な発掘調査が行われているが、これに加えて、バイヨン寺院における断片的な発掘調査をもとに構築された既往の建造過程の問題点を踏まえ、我々は建造過程を再検証するための発掘調査も同時に進行してきた。建造過程について検証するための調査としては、特に1999年(JSA第2期事業)と2007年(JSA第3期事業、アプサラとの共同事業)の発掘調査が挙げられ、これらの成果については、大枠においては既往の建造過程を補強する結果が得られているものの、内回廊及び外回廊の建造過程に関しては新たに検討を要する重要な遺構や痕跡が認められている。本稿では、これらの調査から導き出された遺構と出土遺物をもとにして、新見解と問題点について明示するとともに、バイヨン寺院に関する現在の調査業況をご報告したい。

【発表要旨4】
秋保さやか(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
「現代カンボジア農民経済に関する一考察
-農民組織活動の展開と葬儀の事例を中心に-」

 この発表では、カンボジア南部の稲作農村における農民組織活動と葬儀の事例を提示し、開発の影響下にある農村社会の変容過程の一部を、経済実践をめぐる社会関係に着目し紹介する。
カンボジア農民は、内戦前の社会主義経済、そして内戦終結後の市場経済化が進む現在と政治経済的構造の変化の時代を生きてきた。現在の農村では、生活のあらゆる局面において現金を必要とする生活へと変化しており、農民は農作物、家畜、土地を売るなどし、現金獲得、また所得向上の方法を模索している。このように市場経済が浸透しているカンボジア社会だが、クメール農民の経済実践を観察すると、市場の論理だけでは捉えきれない、社会に培われてきた人々の規範に支えられる「埋め込まれた経済」実践が行われていることがわかる。
 本発表では、開発援助の影響によって2001年から村落内で活動が始められた農民組織活動の展開の事例と村落内で執り行われたある葬儀の事例分析を通し、農民の経済行為を規定する規範について議論する。
 1つ目の事例は、2001年から開発援助の影響で始められた農民組織活動を紹介する。外部から作られた組織ではあるが、これまで行われてきた組織活動と同様に社会内に埋め込まれ活動が続けられてきた。しかし、その活動に新たな変化が見られるようになった。加入していた全国レベルの農民連合からの離脱と新たな農民連合の結成である。この動きから、市場経済の波に乗りながらも、利益最大化よりも優先される農民の経済が分析できる。
 2つ目の事例は、村落内で行われた2つの葬儀を取り上げる。現在調査を行っている村で2人の農民が立て続けに亡くなり、葬儀が執り行われた。1つの葬儀は、プノンペンで成功したとされる息子によってプノンペンから葬儀業者が呼ばれ、電飾を多く使った派手な式が行われた。しかし、参列者は極端に少なかった。もう一方の葬儀は、村人たちによって式の準備から実施まで行われ参列者も通常の葬儀以上の人が村落内外から集まった。この2つの葬儀の事例から、「豊かさ」、「貧しさ」という概念が含む重層的な意味を提示する。
 以上の2つの事例分析を通し、現代カンボジア農村において農民が市場経済とどう向き合い、日常の中にその論理を組み込み、これまでの慣習に支えられた経済実践とどのように融合し生活を営んでいるのかという、農民経済の動態を明らかにする。

【発表要旨5】
上村未来(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
 地域研究専攻博士前期課程)
「カンボジアにおける「市民社会論」への試論
―カンボジア「市民社会」に関する文献/聞き取り調査からの一考察―」

 本報告の目的は、内戦終結後のカンボジアにおいて、いわゆる「市民社会」がどのように語られてきたのか、また、「市民社会」のアクターたちはその概念をどのように捉えているのかを、これまでの文献調査およびインタビューから明らかにすべく、試論的な立場から考察することである。
 市民社会に関しては、定義も対象とする範囲も研究者によって異なるが、概ね、現代国家において国家から独立し、公共目的のために活動する自立的、自発的な社会集団という認識がなされている。カンボジアにおいては、こうした自発的な社会集団が伝統的に備わっていたとは言い難く、国際社会からの働きかけや支援によって成立したものが多いため、本報告では「市民社会」と表記している。
 1970 年代後半以降、旧ソ連・東欧諸国を含む第三世界の民主化が世界的な注目を集め、その担い手として中産階層や市民社会が重要視されるようになり、民主主義が世界的な潮流になった1990 年代以降、欧米諸国を中心とするドナーは、カンボジアを含むアジア諸国やアフリカ地域に対し、活発に民主化支援、市民社会支援を行なってきた。
 1991年に締結されたパリ和平協定によって、国際社会からカンボジアの内戦は終結したという認識のもと、国際機関や各国のドナーがカンボジアに対する復興支援を開始し、この過程でカンボジア人による非営利組織(Non-Governmental Organization, NGO)も多く誕生した。そうした組織が、上述の市民社会支援などの対象となり、さらにそれらの組織は現在、人々の声を代表する「市民社会」としてたびたびメディアに登場するなど、その存在感が高まってきていることがうかがえる。
 これまでカンボジア「市民社会」を分析対象とした文献のなかでは、NGOや寺委員会などに偏重しており、そうした組織は民主的なガバナンスを向上させるための担い手として認識されていることが多い。本報告では、カンボジアではこうした国際援助の分野やドナーの意向に偏った「市民社会」観が語られていることを指摘する。