カンボジア都市近郊農村住民の大学進学にみる「上昇志向」の発達と住民の合理性
小口瑛子(東京大学大学院総合文化研究科)
カンボジアでは現在、高学歴取得者の失業が深刻な問題とされている。同国では、ポル・ポト政権時(1975~1979年)に国内の産業基盤が一旦崩壊し、1980年代の計画経済体制時に国内の産業基盤が育成されず、1990年代前半から流入した海外資本も低賃金の縫製業に集中した。こうした状況下で、内戦終結後のベビーブーム期に生まれた世代が高等教育を修了するようになり、高学歴の求職者の多くが「よい仕事」に就けない状況にある。しかし「よい仕事」の不足が広く認識されている一方で、大学進学者数は増加し続けている。
本研究では、高学歴取得者を吸収する雇用先が十分に整備されていないカンボジアにおいて、経済的な収益を十分に見込めない子弟の大学進学に対し、農村住民がどのような意味づけをしているのかを、シェムリアップ州都近郊農村における綿密な現地調査を通して明らかにする。農村住民による教育に対する意味づけを理解することにより、「カンボジアの特定地域において、高学歴取得者の雇用吸収先が不足しているにも拘わらず、大学進学者が増加し続けているのはなぜなのか」というパズルを検討する。
現在多くの途上国において、高学歴取得者の増加に対して雇用機会が不十分であるというギャップが、深刻な政策課題とされている。カンボジアという国の特殊性を十分に認識した上で、シェムリアップ州都市近郊農村の事例に焦点をあてることは、他地域との比較研究のための素材を提供することに繋がり、また現代カンボジアにおける高等教育の意義を問い直す試みとなる。
計80日間におよぶ現地調査の結果、以下のような暫定的な結論に至った。調査対象地における大学進学は、不安定かつ不名誉な状態――社会的に位置づけられておらず、同村住民から「ゴクツブシ」や「不良」と見なされる状態――に陥る危険を回避し、「よい仕事」を得る一縷の希望を保持できるものとしても、若年層やその親から価値づけられている。つまり、同質性(「すべての住民が社会的な任務を果たす」)を求める農村の社会規範から、異質性の端緒となる「上昇志向」が発達しうるという逆説的な状況がみられる。