2011年4月4日

4/23 第1回、東南アジア歴史研究会

東南アジア歴史研究会へのおさそい                                                

東南アジア歴史研究会発起人
青山亨、奥平竜二、北川香子、桜井由躬雄、重枝豊、弘末雅士、村嶋英治、山形真理子
このたびの大震災に際し、会員各位、またご関係の方のご無事を祈っております。
創設以来、45年目の春を迎え寺田新会長のもと東南アジア学会も新たなステージを迎えるときにあります。近年、東南アジア研究の中で世代継受がもっとも難しく、新しい世代がほとんどいない分野が、現代史以前の東南アジア史であります。古代史、中世史はもちろんのこと、植民地時代の若手研究者さえ激減しています。近年、『史学雑誌』など歴史関係の学術誌に東南アジア史関係の専門論文が掲載されることはほとんどありません。東南アジア史関係のゼミも、一部をのぞいて閑古鳥が鳴いているのが現実でしょう。
日本の東南アジア研究はもともと東南アジア史、それも前植民地期の研究から始まったといって過言ではありません。この伝統が我が国の東南アジア地域研究に、欧米のそれをしのぐ深みを与えました。最近の地域情報学では、地域を空間の広がりとしてのみは理解せず、空間と時間からなる四次元的構造とみなし、地域に生起した事象は、すべて空間軸と時間軸によって座標を設定し、レイヤーを設定します。地域は歴史を座標軸にとることによって、時間の中に相対化され、意味ある空間に昇華します。
東南アジア史のあつい伝統の結果、戦後独立国家の国境線は政治圏の枠組みにしかすぎないこと、経済圏、文化圏、民族圏は国境を越えて独自な分布をしていることは東南アジア研究では常識です。だから日本の東南アジア研究では、現代「国家」を相対化して考えるのが普通です。たとえば東北タイとカンボジア、ラオスと東北タイ、あるいは南タイと北マレーシアなど現代の紛争地域は、いずれも歴史の知識であってはじめて治安問題としてではなく、歴史の構造的な結果であることがわかります。東南アジア諸国の経済発展の段階や方法の個別性についても、歴史によってはじめて理解できることは多く存在します。現代は歴史のあつい地層の上に建設された楼閣であり、歴史研究は地域研究の要(かなめ)であるという認識は、日本の地域研究に共有されたていると思います。
また2000年以降の東南アジアでは、高度経済成長の安定化と自信が、これまでのナショナリズム史観ではなく、自国史、自国の文化の見直しをもたらしています。これは近年の東南アジア歴史遺跡の世界遺産登録により拍車をかけられました。その国の歴史・文化への深い知識・理解をもたないで、もはやその国の人との接触は困難です。
このように東南アジアとの関係上、歴史的知識が求められる現在、肝腎の東南アジア史研究が衰退するもっとも大きな理由は、他部門と同じく研究職への就職が厳しいことにあります。90年代に多くの大学で教養課程が廃止され、人文系教員の職が激減しました。2000年代に入ってからは、少子化の影響から人文系既存講座の統廃合が続きました。こうした人文系軽視の大学教育の中で、伝統をもたない東南アジア研究部門は最初に切られています。国立大学で唯一、南方史講座をもっていた東京大学文学部でさえ、近4年、専任教員をもっていません。また東南アジア研究者の多くの就職市場である地域研究関係研究所は、おおむね現代構造の研究に集中して、歴史系や文学系の研究者を専任としてもつことはほとんどありません。将来の研究職への展望がみえない今、東南アジア史をめざす若者といえども、将来の不安から研究者への道には二の足を踏みます。つまり、各教育研究機関の歴史への無理解が問題です。
しかし、東南アジア史衰退のより根本的な原因は、東南アジア史への関心をもつ若者が影を潜めたことにあります。これは長引く不況が日本全体に閉じこもり傾向を与え、またアジアとの関わりでいえば、中国の経済成長にともない、その経済的プレゼンスが急拡大したこと、西アジアの動乱の結果、西アジア・イスラム研究が喫緊の課題となったこと、また東南アジア前近代史特有の諸言語学習の困難さ、またラオスやビルマのように入国調査そのものが難しいなど、初学者をシュリンクさせるさまざまな原因がありますが、なによりも東南アジアの高度成長、林立する高層ビルと高速道路網が地域の個性をなくし、東南アジアを「つまらなく」させました。その現代都市のただ中に、またその周辺のスラムの中に、昔ながらの東南アジアがあること、都市の発展に置き忘れられた農村の中に脈々と伝統文化が受け継がれていることに、観光化されたものをのぞいて目が届かないのです。歴史は経済統計でははかりえない東南アジアを発見させる最高のツールであります。
いまこそ東南アジアの歴史が東南アジア理解のためにどれだけ意味があるのか、各研究教育機関、ジャーナリズム、そして若い世代に改めて知らせる必要があります。おもえば第二次大戦中、山本達郎先生は時局を遠く離れ、はるか将来に目を据えて本郷の地下の片隅で南方史研究会を組織されました。東南アジア史に関する漢文を読み、欧米での新しい研究について討論するだけの数人だけの小さな組織でしたが、それが70年後には会員700名を越える「東南アジア学会」に成長しました。この誇るべき伝統にならって、私たちは主に19世紀以前の東南アジア史をテキストを通じて学ぶ「東南アジア歴史研究会」を組織することにいたしました。さしあたっては、戦後の東南アジア史の枠組みを決定したジョルジュ・セデスの業績を講読する予定です。現在の東南アジア研究の地平からみたフランスインドシナ学の功罪を検討し、同時にはじめて東南アジア史にふれる方への入門的な意味をこめたいと思っています。
第1回を以下の要領で開きたく存じます。

第1回 東南アジア歴史研究会
日時:4月23日(土) 午前9時30分より12時30分まで
場所:東京外国語大学本郷サテライト(同日午後、東南アジア学会関東例会が同じ場所で開催されます。第2回以降の会も原則として関東例会が開催される日の午前中、同じ本郷サテライトで開催します。)
講読テキスト:
フランス語既習者、George Coedès, 1944, HISTOIRE ANCIENNE DES ETATS HINDOUISES,  Hanoi, (原本は桜井所蔵),
フランス語非既習者は英語テキスト、 George Coedès, 1968、The Indianized States of Southeast Asia, Honolulu
参考文献 笹川秀夫、2006、『アンコールの近代』中央公論新社

第1回インストラクター: 松浦史明

連絡先:英仏のテキストのPDFコピーは、参加希望者にメール添付で配布いたしますので各自で印刷してください。参加希望者は、必ず4月16日までに佐藤恵子ke_bluye116[atmark]yahoo.co.jp までご連絡ください。