東南アジア考古学会例会をを下記の要領で開催いたしますので、ご参集ください。
7月の例会は、国立台湾大学芸術史研究所の坂井 隆さんに「世界文化遺産は誰のものか -東南アジアを中心とする登録の経緯等について」をご発表いただくことになりました。つきましては、ご多忙中のこととは存じますが、万障お繰り合わせの上、是非ご出席下さいますようお願い申し上げます。
記
日 時:2015年7月25日(土)15:00~17:00
会 場:早稲田大学 戸山キャンパス36号館682教室(6階)
発表者:坂井 隆(国立台湾大学芸術史研究所)
発表題目:「世界文化遺産は誰のものかー東南アジアを中心とする登?の経緯等について」
交通案内:東京メトロ東西線「早稲田」駅下車 徒歩3分
要旨:
ユネスコの世界文化遺産制度は「人類共通の遺産」というモットーのもとに生まれ、ボロブドゥールの修復など東南アジアはその成立に貢献した国際協力事業が実施された地域である。しかしプレアビヒアの登録を契機にカンボジアとタイの間で数回の銃撃戦が起き、少なくない犠牲者が出たことは記憶に新しい。これは過去と現在の国境不一致が文化遺産帰属問題に発展したものだが、同様の問題は北朝鮮と中国の間で起きた高句麗遺産の登録過程でも見られる。一方、日本に併合された琉球王国の首里城跡は日本の世界遺産として登録されたが、その破壊の経緯から考えても他の日本の世界文化遺産とは同列に扱えないものである。似た例は、ベトナムに併合されたチャンパ王国の聖地ミソンがある。同時期の登?となったホイアンとは異なった登録経緯があるだけでなく、ベトナム政府はベトナム戦争に関する「負の遺産」としての公開効果も考えていた。世界遺産制度はあくまで遺産条約を批准したユネスコ加盟国・地域のみが、申請権を持っている。そのため申請国と本来的な遺産建設者の間で齟齬があることは少なくなく、特に植民地支配者の建設した遺産をどのようにかんがえるかでは、フィリピンの世界遺産バロック教会群とインドのシヴァージー・ターミナスでは異なった状態が指摘できる。
以上の例をもとに、破壊や修復というハード問題ではなく、登録申請経緯より世界文化遺産を見つめ直し、「人類共通の遺産」が誰のものなのかを考えたい。
以上
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