2018年8月14日

8/25 発表要旨(1)

名前:傘谷祐之

所属:名古屋大学アジア共創教育研究機構研究アシスタント

報告タイトル:カンボジア人の氏名について:フランス植民地期における創氏の試みとその失敗

要旨:カンボジア人の名前は、一般に、二つの部分から構成され、その前半部分は父の名であることが多く、後半部分がその人の固有の名である、といわれる(「父の名・自分の名」型)。しかし、名前の前半部分に父の名ではなく父方の祖父の名を用いる例や、日本の「氏」に相当するものをもつ例もあることが知られている。一方で、歴史を紐解けば、あるフランス人が1900年に公刊した著書には、カンボジアでは「氏(Les noms patronymiques)は存在せず、男も女もその出生の時に与えられた固有の名しか持っていない」との記述がある。
 してみると、カンボジア人が今日のように二つの部分からなる名前を用い始めたのは20世紀に入ってからだと考えられるが、それはいつからか。また、現在のように「父の名・自分の名」型を原則としつつ例外も許容する複雑な制度となったのは、何故か。
 この報告では、カンボジア国立文書館が所蔵する官報、大臣会議議事録その他の資料を参照し、1907年の王令がカンボジアの人々に氏の使用を命じたことを確認する。そして、その後の王令の適用過程において、カンボジアの人々の間に氏を巡る誤解が生じ、やがて「父の名・自分の名」型の「誤用」が広まっていった、という仮説を提示する。