2011年 仙人の会10月例会発表
日時:10月23日(日) 14:00~18:00
場所:法政大学大学院棟 6階601号室
JR中央線・地下鉄南北線飯田橋あるいは市ヶ谷駅または JR中央線・地下鉄南北線/有楽町線/東西線飯田橋駅下車、徒歩約10分
現地へのアクセスについては、こちらをご覧ください。
交通アクセス(市ケ谷)(Copyright (c) Hosei University)
キャンパスマップ(市ヶ谷)(Copyright (c) Hosei University)
発表者(1):松井 生子氏(国立民族学博物館外来研究員)
発表題目
在カンボジア・ベトナム人の社会関係と祖先祭祀
要旨
本報告は在カンボジア・ベトナム人の祖先祭祀の特徴を、彼らの社会関係との関連において考察することを主題とする。取り上げるのは、カンボジア東部に位置する村のベトナム人の事例である。彼らの多くはカンボジアに数世代にわたって生活してきた人々であり、1970年代の内戦時にはベトナムへの避難を経験している。
調査地のベトナム人は(大乗)仏教徒を自称するが、その宗教的実践は道教や儒教の要素を併せ持ち、最も重きが置かれるのは父系祖先の祭祀である。調査地とその周辺地域のベトナム人、およびベトナムへの避難後に彼地にとどまった彼らの親族には、細部においてバリエーションを持ちながら共有される祖先祭祀の実践のパターンが存在し、それらはカンボジアの多数派民族であるクメール人がおこなう上座仏教の実践との対比のもと、「ベトナム人がおこなうもの」として意味づけられている。
彼らの祖先祭祀においては香炉が死者を表象し、命日には香炉が置かれた家に親族が集う忌祭がおこなわれる。家譜が存在しない中、繰り返しおこなわれる忌祭は父系理念を支え、系譜や親族のつながりを確認する上で重要性を持つ。他方、祖先祭祀の実践は人々の関係を規定していくものであると同時に、ベトナム-カンボジア間の親族の分離や、母方・妻方親族との緊密な付き合いといった現実の状況に影響され、あるいは対応したものとなっている。
本報告では家族・親族関係に重点をおきつつ、ベトナム人同士のつながり、民族間関係を含めた社会関係の中で祖先祭祀が成立している様相について、そしてベトナムにおける研究で報告されている社会関係および祖先祭祀の事例と調査地の事例の連続性と非連続性について考えてみたい。
発表者(2):土肥 歩氏(東京大学大学院総合文化研究科 地域文化研究専攻博士課程3年)
発表題目
広州郷村宣教団についての考察―宣教師はニュージーランドからやってきた―
要旨
19世紀以降の中国におけるキリスト教布教(本報告ではプロテスタント諸教派に限る)の実態について問われれば、列強との条約によって確認された内地布教権を足がかりに外国人宣教師が中国内地に足を踏み入れ、教育(婦女教育を含む)・医療・出版事業を通じて改宗者を増やしていった様子を誰しも想起するだろう。しかし、中国南部ではそうした活動に加えて、華僑・華人を通じた布教活動が行われた事実にも注意が払われねばならない。
本報告ではアレキサンダー・ドン(Alexander Don)によって先鞭をつけられ、ジョージ・マクニュール(George H. McNeur)らによって始動した「広州郷村宣教団」(Canton Villages Mission)の活動に考察を加える(考察対象年代は1880年代から1920年代を予定している)。オーストラリア出身のドンは1860年代のゴールド・ラッシュでニュージーランドへやってきた広東系中国人鉱山労働者に布教のチャンスを見いだす。しかし、中国人排斥の風潮が渦巻くニュージーランドでの活動が停滞し始めると、彼は広東系華僑の強い同族意識に目を向ける。すなわち、ドンは在ニュージーランド華僑の同一宗族を通じて中国での布教を画策したのである。この布教活動では華僑から手紙や資金を預かり、それを携えて広州へと赴くスタイルが採用された。この活動は彼に影響を受けたマクニュールらによって引き継がれる。
この議論を通じて、報告者はニュージーランドのダニーデン華僑と広東の南海・番禺の結びつきにはキリスト教会が介在していたことを指摘するとともに、「キリスト教の拡大」という文脈で語られがちなキリスト教布教の歴史に「便乗」した人々を描き出す。
※例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。